札幌の人口が函館、小樽よりも少なかった時から現在までの人口推移

札幌 人口推移 明治 大正 昭和

今回は、興味のない人は全く読む気にもならなさそうな、ちょっと真面目なお話。

今や200万人を超えるか?と言われている札幌市も、かつては函館や小樽よりも人口が少ない、何もない原っぱでした。そんな札幌が、どのようにして200万人目前の都市にまで発展してきたのか、人口の推移を調べてみたので、その報告です。

北海道開拓は道南から札幌へ

昔からの札幌の人口推移を語るうえで外せないのが北海道開拓の歴史。

といっても、開拓使ブログではないのでそこまで細かく書くつもりは毛頭ありません。軽く、基本を押さえる程度で。

元々函館は「箱館」と呼ばれており、1454年に陸奥(現在の東北地方)の豪族「安東政季」が蝦夷地に渡ったことから歴史が始まったとされています。その後、松前藩の領地となり江戸時代まで続きます。

箱館は1854年の日米和親条約により下田と共に開港され、1859年には長崎・横浜と共に対外貿易港としても開港し、日本国内でも特に早く外国の文化の影響を受た街。

しかし明治の廃藩置県により、藩主導の地方政治から国家主導の地方政治に変わったことにより、これまでの藩の「家」としての影響力がなくなります。

そうすると「なぜ広い蝦夷地の中心地が南の端の函館になるのだ?」とか、「北方のロシアからの侵攻に備えるためにはもっと北側を発展させなければ」というような様々な意見が出てくる。

そして、函館からみて奥地にあたる「札幌」を蝦夷地の開拓の中心地にしようじゃないか。という事で、明治2年に開拓使が派遣されます。

明治6年中撮影札幌市街之図3

明治6年 札幌市街地 (所蔵 北大付属図書館)

北海道開拓の父と呼ばれる島義勇は、「東西に大きな公園を作り、その公園の北側に行政機関を、南側を商業地に」という構想を持っていました。これが、現在の札幌駅~大通は銀行や役所関連が多く、大通以南に商業ビルが多い理由です。

しかし、明治になって本格的な開拓がはじまった札幌。既に函館が発展しいたこともあり、明治時代は札幌よりも函館の方がずっと栄えていました。

函館の人口が札幌の30倍だった時代

そんなことから、明治初期の函館(明治になると箱館から函館に改称)の人口は札幌を遥かに凌ぐ人口がいました。

明治4年の人口統計によると、札幌の人口が624人に対し、箱館はその30倍の19223人と記録されています。

札幌 函館 小樽 人口 明治

上記グラフは、明治4年から昭和15年に札幌が函館の人口を追い抜くまでの間の人口推移グラフ。ご覧のように、明治4年時点では、函館はおろか小樽よりも人口が少ない状況でした。

明治8年には琴似に屯田兵が来ることになるが、近くに港湾を持たない札幌は函館や小樽よりも発展が遅かったことがわかります。

しかし、札幌の開拓が進んだこと、明治19年に3県1局が廃止され札幌に北海道庁が設置されたことなどから、北海道の行政の中心が札幌となり、その後札幌の人口が飛躍的に伸びていきます。

そして大正時代に小樽の人口を抜き、昭和15年の時点では函館の人口も抜くことになりました。

第二次世界大戦前後の札幌の人口推移

少し話を逸らしますが、札幌の人口はある時を境に一気に人口が増え、そのある時以降一度も人口減少が起こっていません。

下の戦前・戦後の札幌の人口推移グラフを見てください。

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札幌の人口は増えてはいるものの、年単位で見ると減少している時期も戦前にはありました。

しかし、昭和20年(1945年)の集団疎開で一時的に札幌の人口が減少し、その後終戦。それ以降、札幌の人口はどんどんと増え続けることになります。

札幌一極集中時代

戦後、札幌への人口流入はとどまる事を知りません。要因は色々と考えられるが、やはり団塊の世代の誕生高度経済成長札幌市の発展などが大きな要因かと。

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また、個人的な考えだけど、道内の鉱山が立て続けに閉山したことによる労働者の札幌への流入も少なからず影響はあったと思う。

対して、かつては札幌よりも人口が多かった函館や小樽は人口減少の一途をたどっています。

個人的に、これからも北海道ではこの状況は続き、ますます札幌と地方の人口差が大きくなっていくと思っています。

ノスタルジックな札幌に浸る

もし昔の札幌に浸りたいという方がいたら、「札幌市の昭和」「札幌昭和ノスタルジー」なんていう写真集がオススメです。

既に解体された建物から現役の建物まで、様々な昭和の札幌に浸ることが出来ます。

この写真集片手に、新旧比較なんていうのも面白いかもしれません。