札幌市民でも「そういえばそだねー」と言うくらいの話なんだけど、大通公園は8丁目と9丁目の間だけ繋がっていて、車の通り抜けができなくなってるんです。
だからどうした?って言われると、「どうもしないよ。」としか答えれないんですけどね。
元々はあそこも南北に抜けることができて、完全に全ての大通公園が分割されていました。ただ、ある大物のひとことがキッカケで、大通8~9丁目間を完全に公園でくっつけて今の姿になった経緯があります。
知ってる人には「そんな事常識だろ!いちいち書かんでええわ!」って怒鳴られそうですが、知らない人も結構いるはずなのでね。許して。
そんなこんなで、今回はちょっと心温まるお話を。
1980年代後半、イサム・ノグチ
実は大通8~9丁目の間にどんと立つ黒い彫刻。すべり台として遊べる遊具ですが、実は世界的彫刻家のイサム・ノグチ氏の作品で、ブラック・スライド・マントラという名前があります。
「イサム・ノグチって誰?」って人は中々のレアキャラだろうけど、札幌だったらモエレ沼公園を基本設計した人として有名ですね。
当時、イサム・ノグチ氏が、公園と遊具を複合した作品を構想していながらも、アメリカでは実現に至らなかったとして、知人の紹介で札幌市を紹介されたのが始まり。札幌市がいくつか提示した候補地の中に含まれていたのが大通西9丁目。
札幌市としては、9丁目にあるクジラ山を撤去して同氏の作品を置こうと考えてたらしい。
ただ、1988年に同氏が大通公園を訪れたとき、そのクジラ山では多くの子供が遊んでいるのを見て「子どもたちの遊び場を奪うことになる」と、その場所への設置を拒否してしまいます。
道路に立って「ここがいいね!」
さて、クジラ山跡地への設置を拒否したイサム・ノグチ氏は、周辺を歩きながら、ある場所に立ち「ここがいいね!」と言います。
それが、8丁目と9丁目の間の道路の真ん中でした。
札幌市からすれば、
「いやいや、道路だから!」
と内心そう思ったでしょうね。
ノグチ氏の提案は、みずからの作品を置いて公園をつなげ、クジラ山と一緒に子どもたちが遊べる場所を作ろう。というものでした。
まじ、札幌市の担当者も目が点になったでしょうよ。
しかし、詳細が決まらないまま、その年の年末にノグチ氏が死去します。
一度は8丁目に設置された
その3年後にブラック・スライド・マントラが大通り公園に設置されることになりますが、最初は道路を塞ぐまでには至らず、一度は西8丁目区画内に設置されました。
しかし、札幌市としても故人の意思を尊重したいという思いで、8丁目と9丁目を連続化することを決定。
ブラック・スライド・マントラが現在の位置に移転されました。
もしノグチ氏のあのひとことが無かったら、大通公園の8丁目9丁目は繋がっていなかったというわけです。
交通の事情とかそういった理由ではなく、「子どもたちが楽しく遊べるために」という理由によって、あのような形になっています。
この時、札幌市がノグチ氏に提示した候補地の中に含まれていたのがモエレ沼公園。モエレ沼公園の方が規模も大きいので意識が向かいがちですが、現在の大通公園にも。イサム・ノグチ氏の思いが詰まっているということです。